昨夜はスワミ・チェータナーナンダジによる特別オンラインクラス「不安から平安へ 第2話」が開催されました。

ZoomとYouTubeを通じてたくさんの方がお話を聴きに来て下さいました。

現在のこの状況でインドで唱えられている「ドゥルガー サプラシュローキー」という7つの詩で成り立っている詩の、5,6,7番目の詩の練習と意味を解説して頂きました。(567とコロナという読み方の一致は偶然のようです。)

ドゥルガー女神とは世界を運行する力(シャクティ)の象徴で、またの名をジャガダンバと言います。ジャガット=世界、アンバ=母、つまり世界の母、全体宇宙の母という意味ですが、今回はわかりやすく地球の母という意味で解説をしてくれました。

聖典の一言一言を理解するためには、聖典の全体宇宙観を理解する必要があり、全体宇宙観を理解するには一言一言の理解が大切です。その為には伝統の教えの繋がりの中にいる先生から正しく学ぶ必要があり、昨夜はその機会に恵まれました。聖典の伝えるヴィジョンも本だけで理解しようとするとどうしても個人の解釈が入り、矛盾が生まれたり、辻褄が合わなくなり、たった一つの真実がたくさんの哲学に別れてしまいます。

今回のお話でも前回同様、無知が不安を生み、知識をが安心を生むんだよ、とお話をしてくれえて、無知とは自分自身についての無知、世界についての無知を意味します。自分や世界についての無知があるので私たちは【これがあったら安心】という安心の拠り所を安心でないものに上乗せをしてしまうのです。

健康があったら安心

仕事があったら安心

家族がいたら安心

お金があったら安心

他者からのいいねがあったら安心

などと、安心を外から得ようとしてしまいます。健康、仕事、家族、お金は必要ですが、これらに安心を求め、安心を上乗せしてしまうことは自分自身のことを知らないがゆえに起こることです。

何かがないから不安、何かができないから不安、何かがあったら安心という考えは、自分自身の本質を【不安な人】と見ているのです。自分自身の本質の理解がない限り、何かを手に入れても【手に入れた不安な人】になるだけなのです。

よくスワミジは、「アーサナヨーガは自分自身にくつろぐ体験だよ。」と話してくれます。集中して動くことで、日々のお母さん役、従業員役、子供役、妻役などのいろいろな役割を忘れ、自分自身にくつろぐ体験を経験します。このとき、何かを手に入れたわけでないけど自分自身にくつろぐ体験をしているでしょう。

ヨーガのステップは、これらの体験を得ながら自分自身とは何か?という知識を得るもので、それを伝えることがヨーガの先生の役割です。

健康が目的でなければ、お金が目的でもありません。これらはゴールを得る手段なのです。手段が目的になってしまうことは本来の意味を見失ってしまいます。

嬉しいことに安心は外から手に入れなければいけないのではなく、いつでもあるものなのです。それがなんとなくわかるだけでも希望だと思います。

無知ゆえにエゴが必要以上に成長し、そのエゴが自分自身の敵となります。自分とは何か?という知識によって、自分が全体に支えられているという事実にはっきり気づき、謙虚になり、感謝が溢れ、エゴの鎮静により、全ての障害の鎮静が起こるのです。

地球上で、自分への無知から、何かがなければ不安と自分に安心があることを見失い、エゴが必要以上に育つ人が増えてしまうと結果たくさんの障害があらわれます。

昨日もスワミジは、「自分の中の混乱を取り除くことが貢献だよ。世界を変えようと思わなくていいよ。」と話してくれました。自分の中を掃除して、自分の中の安心にくつろいでいくことこそ世界への貢献です。

このドゥルガーの詩は朝昼晩に7回ずつ、計21回一日に唱えます。きっと昨日のクラスに参加してくれた方々から広がっていくと思います。

スワミジ、参加された皆様、本当にありがとうございました。

自分を貫いてドゥルガー(イーシュワラ)が溢れ輝きますように。

Let Īśvara Go.

詩はこちらからダウンロードできます。(スワミ・チェータナーナンダジ訳)

https://yasuhiroyato.com/wp/wp-content/uploads/2020/05/d19a2f2c80e20efa2030974cbf9888e2.pdf

そして、昨日のお話はYouTubeにて音声のみですがアップしました。

https://youtu.be/R3uhgDnLvX4

お話を聴かれて、スワミジとヴェーダーンタの教えの伝統にダクシナ(ドネーション)をされたい方はこちらからお願い致します。

http://www.para-vidya.com/007